走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その3 ~単独チャレンジだけど、一人じゃない~
無事に8年ぶりにおばあちゃんの再会》
走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その2 ~初めての被災地、そしておばあちゃん~ - 現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために
ここからは、おばあちゃんに言われた
「穂高岳は世界一の山。世界一になれ」
この言葉を意味を頭の中で考えながら、120kmを走る旅路。
さらに、今回のチャレンジが自分一人のものではないものだと知るものとなった。
○閖上と稲穂
おばあちゃんとの再会を後にして、気温的には30℃近くあり
結構暑かった。(; ・`д・´)
とにかく、水分が消える。消える。消える。
ただ前半は比較的、補給ポイント(≒コンビニ)が多いので継ぎ足しながら、
快調に一歩一歩進んでいく。
今回のチャレンジでは、足に加速度センサーを付けているので
進んだ距離や時速、1kmの所要ペースも分かる。
これのお陰で、ある程度一定ペースを維持できる、という優れもの('ω')ノ
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また、心拍センサー(ハートレート)も付けているから、
一定数の心拍を超えたらペースを落とすように、
「自分を推し進め、自制する」
というコトは前提にチャレンジをしている。
(※バカといえども、迷惑をかけないように。単独だし)
快調に走ってる中、被災地の中でも記憶に深く残ってる場所へ
「閖上地区」
この場所は、津波の中継の映像で何度も観た。
避難場所の小学校がそのまま飲まれる、という映像をよく覚えている。
この小学校の前で立ち止まりたくさんのことを考えた。
- 自分の過去の夢、
- 男の子なのにエレクトーンプレーヤーになりたかったこと、
- 鹿児島でアルペンスキーやったこと、
- 理系×スポーツ推薦×主将の道を選んだこと
- 挑戦しても色んな人と歩幅が合わず上手くいかなかったこと
- 時には上手くいったこと
何より
「挑戦出来ていること」
の幸せ。
そしてココで助かると思ったのに、助からず。そして突然、人生が終わる。
「自分が生かされている」
このことを強く感じた。
○苦しさと応援と責任
ここからはまた調子良く、一定のペースで。
大体6min30sec/kmを安定して刻んでいただろうか。
※荷物が10kgちかく背負うと、これがちょうど良い
「えっ全然、いけるじゃん!!('ω')ノ
1か月前とか5km走るのも嫌だったのに(/・ω・)/」
ってな感じで途中でも記念撮影したり
本当に雄大な景色を
ドリカムの名曲
「うれしい!たのしい!大好き!」
うれしい!たのしい!大好き! / DREAMS COME TRUE - YouTube
を(聴きながら)歌いながら、調子に乗りながらテンション高く走る。(∩´∀`)∩
……
40km地点くらいまでは、、、
ちょうど初日75kmの半分を超えたあたりから
雲行きが怪しくなってくる。
ペース的には快調だったが、やけに脚の後ろが張る。
意味が分からないくらい張る。
ストレッチをだましだまし挟んでも、、、
意味がない。
そして、
ペースも落ちる。
歩きもはさみながら、とぼとぼ進む。
そして、原因を考える。
……
……
……
はっ( ゚Д゚)
あることに思いつく、、、
1週間前にやった「山手線一周の時」のハチャメチャな行動
≒ スクランブル交差点ダッシュ/階段ダッシュ/ふなっしーごっこetc..
ええ、ストレッチしてた時、びっくりするくらい
1週間前の自分の姿を思い出しましたよ。(; ・`д・´)
ちなみに、写真はスクランブル交差点ダッシュ。(; ・`д・´)
そんなこんなで、メンタル的に乱れ始めたからは本当にきつかった。
予定時刻を大幅に遅れ始めてたし、
仲間と走ってたから。
※山手線一周の時の仲間との昼食
どうでも良い話をしたり、みんなで同じ目標を確かめ合ったり。
自然と支え合って達成をしてきた。
でも今回はこれが全て無い。
今回は単独ランであること、思い知らされた。
※この後に本当の単独ランの難しさがやってくる。
とぼとぼ走ってるんだか歩いてるんだか(´・ω・)
分からないくらいのペースの時
……
……
他人に付けられてるのを感じる( ゚Д゚)
そして、、声をかけられる( ゚Д゚)( ゚Д゚)
……
「ねぇねぇ、どこまで走ってるのーーー?」
下校途中の地元の小学生だった。
いるまの身に着けてるものが、普通ではないから興味を持ったらしい。
≒キモチワルイ恰好?
ここ(45km地点)から30kmまだ先まで走ること、
そして、翌日にはまだ45kmを走ること、
これを伝えると、よほど未知の世界観だったんだろう
目をキラキラさせながらいろんな会話をした。
今きついこと、夢のこと、震災のこと。
最後におっきな声で
「絶対ゴールしてね!!」
と、エールを。
ありがとう。元気が出たよ。がんばるよ、うん( ;∀;)
そこからは、ガムテープで意味不明にゼッケン作ってることから、多くの人に応援されました。
- チャリに乗ってるおばちゃん
- 信号待ちのトラック運転手
- バス待ちのおじいちゃんおばあちゃん軍団
など
きっとみんな、家でしゃべってくれてるのかな?
「120km走ってるアホみたいな男の子がいたよ!('ω')ノ」
って。
この時から《勝手な責任感》芽生える。
もしかしたら、この姿をみて
《似たようなチャレンジしてくれる人出てくるかも!?》って。笑
自分の気持ちを整理するだけ、そして次への一歩を踏み出すための挑戦なのに、
そこからは自然と故障してることすら忘れ、
出会った色んな人へ感謝をしながらただひたすら進む。
○ナイトステージ 25kmの孤独な戦い
ある本で読んだことがある。
「マラソンは自分との戦い。増してやULTRA級になると、自分としか戦わない」
このことを本気で痛感する時間帯だった。
日本三大絶景の松島へ到着し始めた頃からあたりから日が暮れ始めた。
ココからは、まだ初日のゴール石巻まで20km以上もの道のりが待っている。
色々な人の応援をもとに、メンタルは復活し始めたけど、
脚はもう限界に近い。そして空腹も。
松島での補給ポイントのコンビニを最後に、ここから石巻までは20km近くコンビニが無い。
それどころか、津波で全てが無いこと(事実、線路は全部流されてた)が考えられ、
まともな道路もない、そして街灯も無いことまでも考えられた。
この時点で昼間の30℃とは打って変わって気温は10℃くらいまで下がり
最終の補給では予備の食材、そして身体を温め、準備を整える。
そして、気持ちをリフレッシュしてスタート。
ナイトステージは、とにかくメンタルとの戦いだった。
脚が痛くて、何時間も人と合わないから、正直メンタル的に崩壊寸前だった。
本当の意味で「単独での挑戦」ということを思い知る。
一回だけ52km地点で座り込んだ。
何キロ走っても、自動販売機すら無くて、車も通らないしで、
ただただFacebookに届いてた応援メッセージを読んでいた。
そして、その時聞いた曲が、、
RAMWIRE 「夢のあかし」
RAM WIRE 「夢のあかし」 小学5年の女子フィギュアスケート超新星:渡辺倫果出演のドキュメントMV - YouTube
この中の歌詞に心を打たれる。
「あと一歩あと一歩前へ無数の笑顔が待っている
夢が夢じゃないことを 身体中で明かすために行くんだ」
そして、このblogのタイトルにもなっている
「現実(いま)と夢を繋ぐ瞬間に
僕は出会うために」
《120km走破》
この夢を夢じゃないこととして証明する。
そして、それを証明した瞬間に出会ってみたい。
そう思いおもむろに、書き出す。で走り出す。
ここからは、今までバカみたいにケンカしてた脚と頭が一心同体になる。
「あと○○キロだから、△△まで□□のペースで走ろう。
そしたら、☆時に石巻着くよ!」
このぐらいの距離を走って新たに気づいたことがあった。
「幽体離脱」
(; ・`д・´)っ
完全のこの頭と足とのやり取りを、客観視する自分がいる。
そして、ただただ自分で自分を応援する。
たくさんの人に支えられ、そしてたくさんの人に応援されて
いっぱいメッセージもらって
時には走ってるのに電話がきて
そのことを噛みしめて、ただひたすら一歩一歩。
応援してくれる全ての人へ感謝をこの時心から思った。
また、この区間(ナイトステージの25km)が一番色んなことを考えた。
震災の爪痕を一番見続けた区間だった。
・とぎれとぎれになる線路
・仮設の橋
・壊れた街灯に、さら地になって区画整理されてる土地
ひとりになると、考え込むことがほとんどだった。
今回の挑戦で辛かったこと、うれしかったこと
3年半前の震災からの想い
8年間会えなかったおばあちゃんへの想い
良く分からなくて、泣きながら走った。お陰でコンタクト2回外れた。泣
もっと良く分からなくなったから、泣きながら親に電話した。
そして、親の存在を感謝した。
言われたひとことは
「やりきれ」
ただこれだけ。
さすが、イルマガワ家。
基本放置プレイでもどんな環境でも、
《諦めること、環境のせいにすること、人のせいにすること》
これだけ叩き込まれてきたから。
ナイトステージも6時間くらい経過して
23時07分。
石巻到着。
↑↑口元笑ってるけど、疲れ切って、目腫れきってる。笑
time:13時間07分13秒
長かった。本当に長かった。(まだ明日あるけど。)
ホテルのおじちゃんに、到着予定時刻を大幅にオーバー(予定は20時)
してたから、心配されたけど、
何とかここまでたどり着いた。
曲がらない膝、そして冷え切った身体をどうにか湯船に着けて
ベッドインしてからチン寝。
6時間後に今回の難所、標高差400m超えの峠へ向かって進こととなる。
走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その4 ~峠越え、そして南三陸へ~ - 現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために