現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために

3年でUTMF/UTMBなどのULTRA-TRAIL@WORLD TOURの出場を目指す、刺激的変態ランナーの成長記

走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その2      ~初めての被災地、そしておばあちゃん~

 

《 走り始めて1ヵ月で東北120km単独ラン完走を目指す》 


走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その1 ~なぜ走ろうかと思ったか?~ - 現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために

 

と決めてから鬼のように練習(大学学部時代の部活よりハード)を経て、

関空を拠点とするpeachに乗り込みいざ、仙台へ。

 

f:id:iruiruirumagawa:20140917120200j:plain

 

2014年10月7日

前日(10月6日)に24歳になり、この日がその記念すべき1日目。

ここから120km先への長い道のりが始まる。

 

○すさまじい強行日程

今回の東北120km単独ランは、1泊2日の弾丸予定

==================================

走る格好で飛行機に乗り、翌日ゴールして、

電車バス飛行機を乗り継ぎ空港まで戻り

飛行機に乗って終電で自宅へ帰宅(; ・`д・´)

================================== 

というなんともプリティな日程。 

 

飛行機乗る瞬間は

「あー、東北まで飛行機で行って

 120kmを2日がかりで走りまくって

 明日には関西に帰ってきて家で寝てるんかww」

 

みたいな呑気なこと考えてました(地獄始まるのにね)

 

f:id:iruiruirumagawa:20141007090019j:plain

※この時は計算違いで115kmという予定だった。笑

 

〔Day1:仙台空港名取市→松島→石巻=75km〕

10時に仙台空港を出発し、

1時間半ほど15km走って、名取市でおばあちゃんに面会。

そこから60kmほど太平洋沿いを永遠と走り、

石巻市までの75km。

 

〔Day2:石巻→柳津→南三陸=45km〕

2日目は朝に出発し山沿いを永遠と走り、

コンビニが25km無い区間、峠を乗り越えながら、

14時までに南三陸まで到着。

三陸ホテル観洋の会いたい人との面会を経て、

15時半ごろのバスでせっせと関西に戻る。

というスケジュール。

 

f:id:iruiruirumagawa:20141007090011j:plain

 

もっと詳細なタイムテーブルは、、

こんな感じ。

(すぐに予定通りいかなくて、数回しか開かず結局Googleマップ頼みだったけど。)

 

ちなみに、関西に戻ってすぐに、、、

研究室の同期らと

スペイン・バルセロナへ出国。笑

f:id:iruiruirumagawa:20141126174356j:plain

 

未来予想図という映画が昔好きで、とにかくタイミング(値段的安さ)

が劇的に良かったので、やりました。はい。

 

《いるまとファミリア》

  ※いるま×サクラダファミリア

 

そう、だから仙台空港を出走する段階で

翌日の15時半までにゴールしないと、

ここから先の予定が全て企画倒れになる( ゚Д゚)

 

という完全に背水の陣ばりのケツを決めてる状態\(゜ロ\)(/ロ゜)/

での出走となったのです。笑

 

○初めての被災

2014年10月7日10:00

訳の分からない格好で飛行機に乗り込んで仙台空港に9:30に到着。

足の裏から太ももまで、訳の分からない量のテーピングをし

無事に出走準備完了。

 

時は、プロ野球ペナントレースも終わったこと。

選手の出待ちをする、花の都・仙台の美女たちがうようよいる場所を

キチガイな恰好した男が通り過ぎ

 

国際線ターミナルのほうでパシャり

 

《今からスタートします( `ー´)ノ》

 的な。

f:id:iruiruirumagawa:20141007100943j:plain

 

3年半前、出走場所の仙台空港

大きな津波の被害を受けたところ。

空港の建物内まで津波が押し寄せて、多くのものが流されたことは良くおぼえてた。

 

でも空港はすごくきれいで、

「思ったより復興って進んでるのかな?」

と思いました。

 

……

 

 

出走するまでは。

 

 

……

 

 

 

500mも走ればにその思ったことは全て、崩れました。

秋晴れのもと、空港のそばの土地は整備は進んでたものの、

本当にたくさんの量のダンプカー(多分2日間で500台以上はすれ違った)

と、たくさんの爪痕を早くも目にしました。

 

f:id:iruiruirumagawa:20141007104005j:plain

 

f:id:iruiruirumagawa:20141007103110j:plain

 

最初この光景を見た時、ただただ茫然。

走り始めてまだ10分も経ってないのに、、、

 

ただ、一人たたずむ。

 

正直、受け入れられる自信なんて甚だなく、

引き返そうか?とまで思ったのも事実。

 

それでも今回の目的。

「おばあちゃんに自分の足で走って会いに行って

 被災地を自分の足で走って心に刻む」

 

このことだけを全うしよう、と。

再度ココロに近い、走り出しました。

 

○おばあちゃんに会う、そしてお手紙

安定の方向音痴を持っているのか( ゚Д゚)

散々、道に迷いまくっておばあちゃんが入所している施設へ。

 

ここまでの15kmの道のりは、

《最初に何と言葉をかけたら良いのか?》

ただ、そのことだけを考えてました。

-もういるまのことなんて覚えて無いかもしれない。

-8年も会わなくて本当に申し訳ない。

-来年から、マリモと働くんだよ。

など

色んなことを考えました。そして、昔訪れたことある場所を通りながら。

 

最初い言う言葉なんて決まらず、施設の前で10分ほど悩んで

ラチがあかなくなってきたから、意を決して突入。

 

f:id:iruiruirumagawa:20141007121639j:plain

 

結論、いるまのコトは覚えていませんでした。

分かってたけど、やっぱりショックでした。

顔は全く変わってないのにね。認知症ってこうなってしまうんだ、、、

いつもTVや本に書いてあること、このことを全て実感しました。

いっぱいの後悔も、、、頭をよぎりました。

でも、一つ自分で褒めるとしたら、、

おばあちゃんの前で泣かなかったこと。

 

それからは、本当に色んな話をしました。 

今やっていること、そして今までこんなことしてきたよ、とか。

これから、どうしようかなー的な相談もしました。

全てを笑顔で聴いてくれて、相槌を打ってくれて。

 

出発の時間が近づいて、最後に

穂高(いるまの下の名前)、これから100km以上走っていくんだ」

と言ったところ

 

 

穂高岳世界一の山だよね。名前に負けないように、世界一になってね。

 負けちゃだめだよ。」

 

ただただ、言葉を失いました。

孫のことは覚えてなくても、山のことは覚えててくれました。

おばあちゃん自身、山が本当に好きで、穂高という名前が付けられた時、

心から喜んでくれたらしいです。

小学生の時、家族とおばあちゃん総出で「穂高岳(3000m級)」に登りました。

穂高岳 - Wikipedia

 

 

それからずっと引っかかり続けた言葉。

「世界一になれ」

たった一人の挑戦だから、何が起きても世界一は頂戴してる(?)のに

この言葉、ここから100km。

ずっとずっと考え続けて、

挙句の果てに答えを出し切らなかったから

約2ヵ月にもわたり今日まで、

必死に考え抜きました。

そして、この120kmの旅路でもこの言葉が多くの気づきを得るキッカケとなりました。

 

さすがに目の前でネガティブなことを直接言うことはできず。

 

 

「8年間会いに行けなくて本当にごめんなさい」

 

 

 

という想い。

 

f:id:iruiruirumagawa:20141126183219j:plain

 

これは手紙に添えて、おばあちゃんのいる施設を後に

もう100km、ゴールの南三陸町を目指してへ突き進み始めました。

 

↓↓つづき 


走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その3 ~単独チャレンジだけど、一人じゃない~ - 現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために