走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その4 ~峠越え、そして南三陸へ~
《多くの気づきを得て石巻までの77kmを無事走りきる》
走り始めて1ヵ月で東北120km単独走って気づいたこと その3 ~単独チャレンジだけど、一人じゃない~ - 現実と夢を繋ぐ瞬間に僕は出会うために
激動の初日を終了し、海沿いを走っていた今までとはおさらばして
一気に山の中へ。
きっと山の中を走っていたのが全てだったんだろう。
「穂高岳は世界一の山。世界一になれ」
このことを真剣に考え始めるDay2となった。
○ロボット?そして100kmへ
ベッドで熟睡できたおかげか、
メンタル的にも復帰、身体の疲れも思いのほか抜けた。\(^o^)/
ただ、脚が動かない。(; ・`д・´)
マジで、右足と右手を同時に出して行進する小学生。
ロボットみたいな歩き方。
今まで小学生のころ、散々バカにしてきた方々、ごめんなさい。
心からお詫び申し上げry。
テーピングを、初日以上にガッチガチにして
初日のコト、そしてDay2のコースの注意点とか
地元の人であるホテルのおっちゃんにしっかり聞いて、
ホテルの朝食を食べていた、建設現場の社員の皆様の盛大な応援を背に
元気よくスタート(/・ω・)/
元気よくスタートしていったのに、
外出たら寒いこと。寒いこと。9℃。
寒暖差が大きな時期だけ会って、ウインドブレーカーを持ってきて本当に良かったと思った。
この日は、永遠と有名な北上川の横を北上。
初日の苦しさを突破したこと。
そして自分の限界をまた一つクリアしたこともあり、
ペースはある程度一定をキープ。
途中にしっかりと体内の調整をしながら
ごそごそと川沿いを登り続ける。
※塩飴はあんまり好きじゃない。(´・ω・)
Day2は、こんな標識を何度か目にした。
ここは海沿いから6kmの地点。
改めて、3年半前の震災のコトを考えさせられるシーンだった。
最初の10kmはペースがだいぶ順調
※とはいえ、8min/kmより少し速いくらい → 1時間で8km程度
そしてやってきました。
Day2 最初で最後の補給ポイント(; ・`д・´)
※ここから25kmはコンビニなし。
お菓子とか普段食べないのにね、不思議です、こんな時は。
このカムカムジンジャーエール。本当にすごいパワーでした。
ということで、ここからはさらに山沿いへ。
建物や家など一つもない本当に山奥を一人、一歩一歩走れる喜びを噛みしめながら。
走り続けて、、、
ついに、、
きました、、
……
100kmキターーーーー\(^o^)/ーーーーー!!!!!
長かったです。
途中本当に投げ出さなくて良かったと思った瞬間。
うれしすぎて、何度も山奥で叫んだ。
ようやくたどり着いた。
○時間が無い。峠との戦い。そして南三陸へ
100kmをついたかと思えば、ここからは時間との勝負が始まる。
まだ最大の難所。400mの標高差の峠がある。
とにかく限界までペースを速める。
当初の予定より、1時間程度遅れており
面会の時間も限られそうになってきた。
気づけば《南三陸まで》あと15km。
進む。ただひたすら。進む。
脚はとうに限界なんて超え、
気持ちだけで早歩きより少し速いペースを維持するのがやっと。
でも気持ちは初日とは違い決して折れなかった。
最後の峠に差し掛かった時、
率直に思ってることを最後、見えるところに自分で書いた。
100km超えたあたりから、投げ続けた言葉。
《やりきれ》
と。
ここからは、一番の難所の山登りの区間。あと10km。
ただ、思ったより登りはきつくなかった。
きついと感じなかったのかな?
一番、気持ちを入れていったシーンだからかな?
登りが登りと感じなかった。
一歩一歩一定のペースで。
そしてついに、、、、峠の山頂まで来て、、、
南三陸 キタ――――\(^o^)/ーーーーー!!
ここまで115km。
もう、長いんだかなんなんだか。笑
それまでの最長不倒距離=45kmの2.5倍。もう分からんww
何度も何度も何度×∞
「2度と走らねぇぞ、こんな距離、ちくしょう(; ・`д・´)」
とこの115km近くは思ってきた。
もう一度言う、
ここまでの115kmを走るまでは、2度と走らねぇと。
でもこの峠を登ってから、その感覚が狂ってきた。
……
……
「さ、100km以上走れちゃったから
次はどうする?どこ行く(; ・`д・´)」
人間って面白い。
こんなに苦しくて、何度もメンタル折れそうになっても
結局、次の”刺激”を求めて次へのコトを考え始める。
《基準》が変わると《思考》が変わる。
そして
《思考》が変わると新たな《基準》が生まれる。
下りも順調に、そして峠を越えてやっと見えてきた。
お久しぶりです!太 平 洋!!\(^o^)/
案外あっさり峠が最大の難所を通過出来ちゃった(∩´∀`)∩
○南三陸への目的、そしてゴール
南三陸へ行くキッカケとなったもの
この仕事に会えて、よかった。「南三陸で働く」編 フル 【リクナビNEXT】 - YouTube
「この地(=南三陸町)で元気づけられた」
という言葉の意味を知りに。
被災地で人を勇気づける、というより勇気づけられた。
ということを直接会って、聴きに行く120kmの旅路。
ということで到着しました!\(^o^)/
がっ、ここまで予定時間を大幅に超え(2度目)
10分しか話ができないっ( ;∀;)
ただ、ホテルからの南三陸の海を見た時
1分の動画で斎藤さんが伝えたいことの全てが分かった。
南三陸の伝えたい風景、
そして、被災地の方々の前向きな姿勢
これが全てだと思う。
せっかく(2日前の突然の電話で)アポ合わせてくれたのにすみません!!!泣
とはいえ、ホテルの皆様の温かいお出迎え
そして、頂戴したソフトクリームの美味さに、
ええ、もう。言葉が出ません( ;∀;)
短い時間でも、南三陸のすばらしさを教えていただいた。
そして、ひとめぼれだった経緯
また思い描く想い。
2ヵ月経ってもしっかりと覚えている。
次は、ゆっくりお会いしに行きます!!(走らずに)
10分の滞在でホテルを後にし、そして残り3kmの道を進む。
そして残り10分でもうすぐゴールの南三陸「志津川駅」のバス停へ。
つ、、い、、、た?(。´・ω・)?
あれ?(。´・ω・)?
ナニモナイ、、、、(。´・ω・)?
当初予定の場所にバス停が無い( ;∀;)
……
……
はいっ?!( ;∀;)
そっこー地元の人(おじいちゃん)に聞く。
「あのー?バス停は、、、?」
「あー、津波で流されたから
ここからあと1km先だよ\(^o^)/」
……
……
オワタ\(^o^)/
となるわけにもいかず。
≒関西への飛行機間に合わず、スペイン旅行行けなくなる。
ええ、猛烈に急ぎますとも (; ・`д・´)
ここでも出るものですね。
それまでのペースを凌駕するスピードで。
ついに、、
……
いるまの121kmの挑戦が終わった。
バスが発車する3分前に着いた。
相変わらずぎりぎりを生きてるだけありますね。
最後バス停に着いた瞬間、
あまりの必死な顔に、そこにいた皆様どころか自分自身の
「感動」も無く( ;∀;)
ただただ
間に合った(; ・`д・´)
の感情のみ。
周りの人はぎょっとしてくれたけど
事情を説明すると、本当にお疲れ様!!と
あめちゃんくれました( ;∀;)
○「歩幅」≒120kmを走り続けて気づいたこと
Day1~2
time:21時間19分07秒
みたいに、基準が無いから
速いんだか、遅いんだか、まったくわからない(´・ω・)
ただ、走り始めて1ヵ月での120km走破。
最初は5km走るのも嫌だったし、すぐに足の裏痛くなるし。
でもハードル下げまくって、モチベーションを維持して
コーチなんていないから、うまいかないことだらけ。
時には何が問題か分からないから、
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こういうやつ読んで
今自分に何が足りてないのか?分解して考えたり
人としてアタリマエのことは何か?
松下幸之助さんの教えも受けたりした。
自分の《未知の道》
これを現実にするために、走る以外の部分で多くのことを考えた。
それが実を結び、
夢が夢じゃないこと。
そして現実と夢を繋ぐこと。
この2つを証明することができた。
☆自分と向かい続ける
120km走る中、自分自身とずっと向き合い続けた。
その中で
《今までの自分では、超えることのできない120km》
ということに気づいた。
就職活動や色んなものを通して、いつの間にか
「個の力を強くすることが全て」
と勘違いしてる時があった。
人と歩幅を合わせに行こうとせず、
自分の力を過信して、人とやり取りしてた。
上手くいかなくなると、自分で全部やればええやん
というような手段をとり、そして周りにいる人に当たっていた時期もあった。
上手くいくときも少しはあったけど、結果的に人が離れていくことも多くあった。
それでは「自律」が足りない。
ただそれでは上手くいかない。
時には人に頼り、時には協力を頼み。
これが必要だと。
今回の120kmの旅路で気づいた。
単独のチャレンジとはいえ、
家族や仲間をはじめ支えてくれた人がいる
出会ってくれた人がいる
補給ポイントでエネルギーの源になるものを売ってくれる人がいる
そしてそれを作ってくれる人がいる
テーピングを開発してくれた人、ホテルのおっちゃん、
本当にたくさんの人がいて
今回のチャレンジを達成することが出来たのは間違いない。
一人ではないんだと。
一人でのチャレンジではない以上、常に
「相手の歩幅」というものをしっかりと考え、
「自律」を目指した上で、人との協力関係(≒相互依存)
を構築することを目指す。これが全て。
これらに気づいた時、あとは最大限相手をリスペクトして協力をお願いして、
夢に向かって、自分のことを信じて、突き進む。
《東北120km単独ラン》
という「夢」に向かって、
「変わらない(=夢)ために、
変わる(=自分自身の姿勢)」
そうすることで、今回は本当に最高の
「現実と夢を繋ぐ瞬間に出会うこと」
これが出来た。
※迷惑もたくさんかけましたが。(;O;)
出会ってくれた全ての皆様に感謝。
○被災地での気づき(まとめ)
2011年3月11日 東日本大震災
本当にたくさんの方が突然、大切な明日を失った。
はじめて自分自身、
いつ人生が終わるか分からないものだと、
気づかされた。
震災からずっと自分の中で大切にしている言葉がある。
そして、この120kmを走って再度・心に誓った。
「今日という日は
昨日亡くなった方が生きたかった
明日である」
このことだけは間違いない。
自分の毎日毎日を大切にしよう。
他人から見た格好なんて、本当にどうでもよい。
自分の毎日をやりきったという毎日にしよう。
一歩一歩、自分らしく歩み続けて
毎日毎日、新しい夢と出会い続けよう。
そして
ゴールは新しいスタートの始まり。
新しい、《未知の道》へのスタート地点。
やりきってはじめて気づいた。
ラスト10kmで手のひらに書いた時、無意識で書いて分からなかったけど
全てが分かったような気がした。
ということの真意を。
きっと新しい夢を叶え続けると
その先に
「穂高岳は世界一の山。世界一になれ」
という夢が最後に待っているはず。
※まだどうすればそこまで行けるか分からないけど。(´・ω・)
この夢(=世界一)と繋ぐ瞬間に出会う為に
永遠(?)と走り狂っていきたいと思います!!!!
ってことでランは辞められない\(^o^)/
社会人になっても続けていきます。
ビジネスアスリートとして。
夢へ挑戦できる環境に、この世に生きるものとして、
夢を夢じゃないことを証明し続けること。
そのために、成長をし続ける義務。
そして、現実と夢を繋ぐ瞬間に出会うすばらしさ。
それを、伝承していくこと。
夢はwant
目標はmust
《夢は目標を達成し続けたら必ず叶う》
証明し続けることこそが、ライフワーク
なのかと。
最後に一言。
くっっっそ
ありがとうございました!
帰りのバスと電車は120kmを3時間で空港まで到着しました。。笑
走り始めて1か月で東北120km単独走って気づいたこと
おわり。